3月11日 幸せは時価である。まとまレス。
晴れ。

今日から夏時間。リハーサルの約束があったクラスメートから「今日から夏時間やぞ、一時間早いんやぞ」とやたらしつこく電話やメールがありました。わかってるってば。でもたしかに夏時間の開始や終了ってあんまり大々的にはされません。口コミで伝わっていってる感がある。口コミて。

さて、なんだか友人が結婚したようです。高校時代の女友達。おめでとう。あったかい家庭を築いて下さい。でもなんだかドキンとしてしまいました。いつ僕たちは大人になったんやろう。鏡を覗き込んでみるとそこにはもう高校生じゃない俺がいる。今もう高校生じゃないように、何年後かには「もう24歳じゃないんやな」とか思うんでしょう。

ちくたくちくたく。

満足のいく人生送りたいもんですね。でもそもそも満足のいく人生ってなんなんでしょう?ゴールに到達することですか?それともその場その場で好きな判断をすることですか?最適な判断、と自分のやりたい事、は同じなんでしょうか?

幸せってのは主観です。僕はそう思います。でもその主観に従った「幸せ」への「到達」の照準をどこに合わせるのか?それとも自分の「幸せ」を追求することもまた「幸せ」と言っちゃってもいいんでしょうか?

俺曰く、「幸せは時価である」。苦しい思い出の中にはにこっと思い出せるものも少なくありませんよね。にこっと思い出せる苦しい思いをすることはきっと「幸せ」なんでしょう。そしてそういう「苦労」は心の底ではそれは「不幸せ」なんかじゃないってわかってるんですよ。きっと。

「幸せは株である」って言ってもいいかもしれませんね。見極めて株買って、大金持ちになっちゃえる。

真性の不幸せってものもちろんあります。偶然、必然、含めて。でもそれらは大体交通事故みたいなもんで、生きてたら避けられないんですよ。多かれ少なかれみんなが味わうんです。だからそれを「不幸せ」って言っちゃうと、損するんですよ。古傷みたいねもんです。いくら薬を塗ってもこれ以上は治りません。だからもう開き直って「これは人生の勲章」と思って生きていくしかないんですよ。

一番大事なのは今持ってる株。「真性不幸せ」にも「時価の幸せ」にもなりうるその株。他力本願な株もあったりするけど、ほとんどの場合僕らが手にしてるのは自社株です。僕たち次第な株たちです。俺たちの生活における時間、情熱が「お金」。手持ちのお金で買える株は限られている。どの真剣に選びましょうね。いっぱい会社を立ち上げすぎたら忙しくなって全部倒産しちゃうかもね。それは真性不幸せ。「無駄な努力」ってのも実際、あると思います。歳を重ねてそう思うようになりました。

なんて事を考えながら踊り狂った日曜日。日よう日。にちようび。

Pic: 冬よさらば。

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