5月9日 無防備な町
2006年5月9日 VP(旅行ポイント)
「この町で出来ることといったらぶらぶらするだけね。」わかったようなわからないようなアドヴァイスを受けながら、僕は出てきたグリーンサラダにとりかかる。思っていたより熟睡してしまい、十時に目覚めた僕は、昨日アンディに「朝飯はここで食べるといい」とお勧めされたカフェ、「Corner’s Cafe」で遅めの朝食を取っていた。丸ごと入っていたピーマンをかじるとぴりりと辛い。
僕は例の地図を眺めていた。一晩明けて改めて見てみると、本当に小さい町なんだということが分かった。全てが集約されているダウンタウンには南北と東西のストリートがそれぞれ三本ずつ走っているだけで、あとはそれぞれの道をつなぐショートカットのような小道が申し訳のように引かれているだけだ。そして具体的な町の大きさはというと、どの方向へでもいい、町の中心から五分ものんびり歩けばもう何もなくなってしまうような小さなダウンタウンだ。
のんびりしにやってきたとはいえ、せっかくなんだから何か見てやろうと思って僕はさらに真剣に地図に目をめぐらせる。しかし、隅々まで見れば見るほど、その地図に「ははは、ぴらぴらぴら、愚かだね。この町に来たって見るものなんか何もないよ、ぴらぴらぴらぴら」と馬鹿にされているような気分になってくる。ところでここのコーヒーは何でこんなに味が薄いのだろう。
十時半という時間帯は、平日のカフェにとってはようやく朝のピークが去った後、やれやれと一息をつける時だ。休憩に入ったと思われる女の子の店員が「元気?」と声をかけてくれたので、僕は地図の耳を引っ張って彼女の前に突き出す。「いい地図があるんです、今日一日この町で過ごすんだけど、どんなものがお勧めですか」と聞いてみた。彼女は面白そうに僕の横に腰を下ろしたが、僕がホテルで手に入れた無料の地図「ビジターズガイド・モントピリア」を差し出すと、何がそんなにおかしいのか、大笑いされた。失礼だな、ぴらぴらぴら。
「面白いもの持ってるわね」きっと僕のと同じように味がしないであろうコーヒーを一口すすって、彼女は哀れな地図を机に広げた。そしてその上で指をくるくるさせながら「この町で出来ることといったらぶらぶらするだけね。」と、僕にウインクをしたのだった。NYからやってきたのに僕はなんだかここでは逆にそれが恥ずかしいというか、田舎者みたいだなあと思いながら、僕はもしゃもしゃとグリーンサラダを食べる。
「いってらっしゃい、楽しんでね」と言う彼女にあいまいな笑みを返しながら、コーナーズカフェを後にした僕は、とりあえず彼女の助言に従い、もう何も探さずぶらぶらしようと地図を尻ポケットにしまいこんだ(町の地形はもうすっかり頭に入ってしまっていたのだけれど)。行きたい方に歩き(なるべくゆっくりだらだらと)、通りに並んでいる店を覗く(なるべくゆっくりだらだらと)。
こんな都会にやってきて開放的になっている僕は、NYでは決してしないような不思議な服装をしている。和柄の刺繍が入ったEVISUのジーンズに上は甚平を羽織っている。甚平にも友人によるお手製の「神」の刺繍が入っている(誤解が無いように言っておくが「神」は僕の頭文字である)。なんとなく決めた組み合わせだったが、心のどこかで「ほら皆さん、日本人がこんなところにいますよ。ねえったら」と言いたかったのかもしれない。
そこここの道をくねくね進んでみたが、どうしてもすぐに町の終わりにたどり着いてしまう。この規模の小ささも僕の故郷とそっくりである。まあこの町は一通りのものはそろっているので、その点ではやはり僕の故郷の完敗なのだが。笑ってしまうのは、あらゆる店や会社が「キャピタル(州都)」を冠した名前であることだ。映画館は「キャピタル・シネマ」、クリーニング屋は「キャピタル・ドライクリーナーズ」、デリ(デリカッセン。食べ物などちょっとしたものが買える日本のコンビニのような存在)は「キャピタル・デリ」。キャピタルってなんなんだろう、となんだか哲学的な気分になってしまった。
田舎ではあるけれど物価はけっして安いわけではない。僕が昼食代わりに道端で買ったキャピタル・ホットドッグは2ドル50セントだった。キャピタル・コーラと共に購入し3ドル50セントを微妙な気持ちで支払った僕はこの町唯一最大の名所、バーモント州会議事堂へと向かう。金色のドーム屋根がトレードマークのこの建物の前に広がる芝生でホットドッグを頬張る。ちょっと曇ってはいるがいい天気だ。やわらかい日差しの下、少し昼寝をする。
太陽が雲に隠れてしまい肌寒くなってくると僕はまたうろうろを開始したのだが、けっこうなんだかんだで時間はつぶれてしまうものだ。バーモント州特有の、パレット・アートの美術館に行く。パレットとはあの画材のパレット、色を作るときに使うパレットだ。丸っこいベニヤのような板に穴が開いただけのパレットに色を塗ったり細工を施して作るパレット・アート。みんなが思い思いの使い方、捉え方をしていて面白い。美術館とはいっても三メートルぐらいの廊下にそういったパレットアートがぎっしり並べてあるだけで、館長さんと二人っきりで長時間過ごすにはちょっと息苦しい場所だったけれど。
上り坂を見つけたので丘に着くだろうかとてくてく登ってみる。ダウンタウンから離れると民家がまばらにある程度で本当に何もなくなる。平和にペンキ塗りや日光浴をしているおじさんやおばさんをぎょっとさせながら僕は上を目指した。妙に体が汗ばんでくる。それは、ダンスのレッスンともジムでのトレーニングとも違う、不思議な、なんとも懐かしい汗だった。じっとりとにじんだ汗は僕の心と体を冷ましてくれる。結局見晴らしのいい丘にはたどり着けなかった。
何もしてないような、NYよりもずっと忙しかったような、心地の良い疲労と輪郭のない寂しさを感じながらはずれの本屋の前で座っていると、店から出てきたミニスカートのちょっと化粧の濃いおねえちゃんが僕を見て「あら、どうだった、ぶらぶらは?」と声をかけてきた。そのおねえちゃんがコーナーズカフェの彼女だと気付くには時間がかかったが、横に座った彼女に、何もないけど素敵なところだね、と僕が言うと彼女は前を向いたままくすりと笑って「アイノウ」とつぶやいた。アイノウ。
はっきりと引かれたアイラインを通り抜けて、彼女の小さな優しい幸せがにじみ出ていた。盾に隠れてなかったらお互いに良く見えるんだ。自分を守る必要がないこの町が大好きだ。僕は尻ポケットを叩く。ぴらぴらぴら。沈んで行く太陽をぼーっと見つめながら、僕らはそれ以上言葉を交わさなかった。
今夜もパブに行けばアンディたちがいるかもしれないと思ったが、なんだかすっかり満足してしまった僕は、酒屋によって赤ワインを選ぶとてくてく宿に向かった。ケーブルテレビの画面をを見るともなく見つめながら、お疲れ様、ありがとう、これからもよろしく、と、一人で祝杯をあげ続けたのだった。
僕は例の地図を眺めていた。一晩明けて改めて見てみると、本当に小さい町なんだということが分かった。全てが集約されているダウンタウンには南北と東西のストリートがそれぞれ三本ずつ走っているだけで、あとはそれぞれの道をつなぐショートカットのような小道が申し訳のように引かれているだけだ。そして具体的な町の大きさはというと、どの方向へでもいい、町の中心から五分ものんびり歩けばもう何もなくなってしまうような小さなダウンタウンだ。
のんびりしにやってきたとはいえ、せっかくなんだから何か見てやろうと思って僕はさらに真剣に地図に目をめぐらせる。しかし、隅々まで見れば見るほど、その地図に「ははは、ぴらぴらぴら、愚かだね。この町に来たって見るものなんか何もないよ、ぴらぴらぴらぴら」と馬鹿にされているような気分になってくる。ところでここのコーヒーは何でこんなに味が薄いのだろう。
十時半という時間帯は、平日のカフェにとってはようやく朝のピークが去った後、やれやれと一息をつける時だ。休憩に入ったと思われる女の子の店員が「元気?」と声をかけてくれたので、僕は地図の耳を引っ張って彼女の前に突き出す。「いい地図があるんです、今日一日この町で過ごすんだけど、どんなものがお勧めですか」と聞いてみた。彼女は面白そうに僕の横に腰を下ろしたが、僕がホテルで手に入れた無料の地図「ビジターズガイド・モントピリア」を差し出すと、何がそんなにおかしいのか、大笑いされた。失礼だな、ぴらぴらぴら。
「面白いもの持ってるわね」きっと僕のと同じように味がしないであろうコーヒーを一口すすって、彼女は哀れな地図を机に広げた。そしてその上で指をくるくるさせながら「この町で出来ることといったらぶらぶらするだけね。」と、僕にウインクをしたのだった。NYからやってきたのに僕はなんだかここでは逆にそれが恥ずかしいというか、田舎者みたいだなあと思いながら、僕はもしゃもしゃとグリーンサラダを食べる。
「いってらっしゃい、楽しんでね」と言う彼女にあいまいな笑みを返しながら、コーナーズカフェを後にした僕は、とりあえず彼女の助言に従い、もう何も探さずぶらぶらしようと地図を尻ポケットにしまいこんだ(町の地形はもうすっかり頭に入ってしまっていたのだけれど)。行きたい方に歩き(なるべくゆっくりだらだらと)、通りに並んでいる店を覗く(なるべくゆっくりだらだらと)。
こんな都会にやってきて開放的になっている僕は、NYでは決してしないような不思議な服装をしている。和柄の刺繍が入ったEVISUのジーンズに上は甚平を羽織っている。甚平にも友人によるお手製の「神」の刺繍が入っている(誤解が無いように言っておくが「神」は僕の頭文字である)。なんとなく決めた組み合わせだったが、心のどこかで「ほら皆さん、日本人がこんなところにいますよ。ねえったら」と言いたかったのかもしれない。
そこここの道をくねくね進んでみたが、どうしてもすぐに町の終わりにたどり着いてしまう。この規模の小ささも僕の故郷とそっくりである。まあこの町は一通りのものはそろっているので、その点ではやはり僕の故郷の完敗なのだが。笑ってしまうのは、あらゆる店や会社が「キャピタル(州都)」を冠した名前であることだ。映画館は「キャピタル・シネマ」、クリーニング屋は「キャピタル・ドライクリーナーズ」、デリ(デリカッセン。食べ物などちょっとしたものが買える日本のコンビニのような存在)は「キャピタル・デリ」。キャピタルってなんなんだろう、となんだか哲学的な気分になってしまった。
田舎ではあるけれど物価はけっして安いわけではない。僕が昼食代わりに道端で買ったキャピタル・ホットドッグは2ドル50セントだった。キャピタル・コーラと共に購入し3ドル50セントを微妙な気持ちで支払った僕はこの町唯一最大の名所、バーモント州会議事堂へと向かう。金色のドーム屋根がトレードマークのこの建物の前に広がる芝生でホットドッグを頬張る。ちょっと曇ってはいるがいい天気だ。やわらかい日差しの下、少し昼寝をする。
太陽が雲に隠れてしまい肌寒くなってくると僕はまたうろうろを開始したのだが、けっこうなんだかんだで時間はつぶれてしまうものだ。バーモント州特有の、パレット・アートの美術館に行く。パレットとはあの画材のパレット、色を作るときに使うパレットだ。丸っこいベニヤのような板に穴が開いただけのパレットに色を塗ったり細工を施して作るパレット・アート。みんなが思い思いの使い方、捉え方をしていて面白い。美術館とはいっても三メートルぐらいの廊下にそういったパレットアートがぎっしり並べてあるだけで、館長さんと二人っきりで長時間過ごすにはちょっと息苦しい場所だったけれど。
上り坂を見つけたので丘に着くだろうかとてくてく登ってみる。ダウンタウンから離れると民家がまばらにある程度で本当に何もなくなる。平和にペンキ塗りや日光浴をしているおじさんやおばさんをぎょっとさせながら僕は上を目指した。妙に体が汗ばんでくる。それは、ダンスのレッスンともジムでのトレーニングとも違う、不思議な、なんとも懐かしい汗だった。じっとりとにじんだ汗は僕の心と体を冷ましてくれる。結局見晴らしのいい丘にはたどり着けなかった。
何もしてないような、NYよりもずっと忙しかったような、心地の良い疲労と輪郭のない寂しさを感じながらはずれの本屋の前で座っていると、店から出てきたミニスカートのちょっと化粧の濃いおねえちゃんが僕を見て「あら、どうだった、ぶらぶらは?」と声をかけてきた。そのおねえちゃんがコーナーズカフェの彼女だと気付くには時間がかかったが、横に座った彼女に、何もないけど素敵なところだね、と僕が言うと彼女は前を向いたままくすりと笑って「アイノウ」とつぶやいた。アイノウ。
はっきりと引かれたアイラインを通り抜けて、彼女の小さな優しい幸せがにじみ出ていた。盾に隠れてなかったらお互いに良く見えるんだ。自分を守る必要がないこの町が大好きだ。僕は尻ポケットを叩く。ぴらぴらぴら。沈んで行く太陽をぼーっと見つめながら、僕らはそれ以上言葉を交わさなかった。
今夜もパブに行けばアンディたちがいるかもしれないと思ったが、なんだかすっかり満足してしまった僕は、酒屋によって赤ワインを選ぶとてくてく宿に向かった。ケーブルテレビの画面をを見るともなく見つめながら、お疲れ様、ありがとう、これからもよろしく、と、一人で祝杯をあげ続けたのだった。
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