5月3日 五月だし四回だし三日だし考えること
2005年5月3日 HP(へたれポイント) 晴れ。寒い。
高校のときの塾の同窓会に出かける。一緒にファッキン詰メ込マレ教育を受けた仲間。しかし就職してるのはただ一人。皮肉。矛盾。
「皮肉。矛盾。」って、別に今を否定しているわけではありません。詰メ込マレ詰メ込マレ、大学に連レ込マレ、とは言え、あくまでもその時その時の自分の判断の結果が今なんやから、それが正解なのです。ただ、ここに来るにはもしかしてもっと近道があったんじゃないかという事を僕は考えちゃうのです。結局は僕の甘えなんだと思って読み進めてください。
塾に限らず、うちの母校もそうでしたが、プレ大学期、すなわち高校時代における動機の不在が結局問題なんでしょう。生徒だけじゃなく教師自身も、なんだかよくわからない、でも詰メ込ミタイ。そして漠然と目的を「大学入学」に据えてしまう。危険。危険危険危険。大学なんて空っぽな、・・・空っぽとは言わなくても、手段にしかなり得ない場所なんですから、それを目的として頑張っても、入ってから自分自身に「・・・で?!」とつぶやき、そこからリスタートになるんですよ、きついでしょう。まあ、こんな事は今更僕がこんなところで言わなくても、世の中にはどっかの憎い奴が作った「五月病」という言葉があるわけです。そりゃあそうでしょう、それだけが唯一絶対の目標と信じてやってきた大学なりなんなりが、スタート地点だったわけですから。「猿の惑星症候群」と呼んでもいいかもしれません、その意味で。
勿論人間の成熟なんてそれぞれなわけで、スピード、方向、バラバラで然りだと思います。でも遅いもん。実際ね、大学4年生も終わろうかという頃に自我に目覚めたって、若干手遅れなんですよ。外大の4年生が宇宙飛行士になろうと思ってなれますか?ぶっちゃけ無理でしょう、ほぼ。まあ、これは極端な例だとは思いますが。そして「ほぼ」と言ったとおり、確かに不可能ではありません。医学部を6年目でやめて法学部に入る。勿論可能です。しかしです、そこに向けられるシビアな目の存在も否定できないでしょう。そしてそのシビアアイズの主は、皮肉にも「詰メ込ミタイ人間」たちがメインになるのです。嗚呼、悪循環。
だから義務教育、高校の教育現場においては、自我の覚醒、アイデンティティの形成、自己の発見、を、促すような教育、つまり、もっとモチベーショナルな教育を目指してほしいものです(モチベーショナルなんて単語があるのかどうか知りませんが、生徒が適性を発見できるようなということ)。それは求めすぎ、頼りすぎだとしても、もっと広い視野を持った教育というか。「ゆとり教育」とやらがそれなのかもしれないですが、なんかアプローチ間違ってるっぽいしね。話聞いてると。まあ難しいんでしょうね。僕が言ってることなんて所詮机上の空論。しかし、それが成功したとき、日本は素晴らしい人材に恵まれるでしょう。ニッポン!ニッポン!。一愛国家として、いっそ僕が僕が教鞭を取って、空論に実をつけて、改革を起こしてやろうかしらん。
あ、でも教職取ってないや。ほらね、うくく。
高校のときの塾の同窓会に出かける。一緒にファッキン詰メ込マレ教育を受けた仲間。しかし就職してるのはただ一人。皮肉。矛盾。
「皮肉。矛盾。」って、別に今を否定しているわけではありません。詰メ込マレ詰メ込マレ、大学に連レ込マレ、とは言え、あくまでもその時その時の自分の判断の結果が今なんやから、それが正解なのです。ただ、ここに来るにはもしかしてもっと近道があったんじゃないかという事を僕は考えちゃうのです。結局は僕の甘えなんだと思って読み進めてください。
塾に限らず、うちの母校もそうでしたが、プレ大学期、すなわち高校時代における動機の不在が結局問題なんでしょう。生徒だけじゃなく教師自身も、なんだかよくわからない、でも詰メ込ミタイ。そして漠然と目的を「大学入学」に据えてしまう。危険。危険危険危険。大学なんて空っぽな、・・・空っぽとは言わなくても、手段にしかなり得ない場所なんですから、それを目的として頑張っても、入ってから自分自身に「・・・で?!」とつぶやき、そこからリスタートになるんですよ、きついでしょう。まあ、こんな事は今更僕がこんなところで言わなくても、世の中にはどっかの憎い奴が作った「五月病」という言葉があるわけです。そりゃあそうでしょう、それだけが唯一絶対の目標と信じてやってきた大学なりなんなりが、スタート地点だったわけですから。「猿の惑星症候群」と呼んでもいいかもしれません、その意味で。
勿論人間の成熟なんてそれぞれなわけで、スピード、方向、バラバラで然りだと思います。でも遅いもん。実際ね、大学4年生も終わろうかという頃に自我に目覚めたって、若干手遅れなんですよ。外大の4年生が宇宙飛行士になろうと思ってなれますか?ぶっちゃけ無理でしょう、ほぼ。まあ、これは極端な例だとは思いますが。そして「ほぼ」と言ったとおり、確かに不可能ではありません。医学部を6年目でやめて法学部に入る。勿論可能です。しかしです、そこに向けられるシビアな目の存在も否定できないでしょう。そしてそのシビアアイズの主は、皮肉にも「詰メ込ミタイ人間」たちがメインになるのです。嗚呼、悪循環。
だから義務教育、高校の教育現場においては、自我の覚醒、アイデンティティの形成、自己の発見、を、促すような教育、つまり、もっとモチベーショナルな教育を目指してほしいものです(モチベーショナルなんて単語があるのかどうか知りませんが、生徒が適性を発見できるようなということ)。それは求めすぎ、頼りすぎだとしても、もっと広い視野を持った教育というか。「ゆとり教育」とやらがそれなのかもしれないですが、なんかアプローチ間違ってるっぽいしね。話聞いてると。まあ難しいんでしょうね。僕が言ってることなんて所詮机上の空論。しかし、それが成功したとき、日本は素晴らしい人材に恵まれるでしょう。ニッポン!ニッポン!。一愛国家として、いっそ僕が僕が教鞭を取って、空論に実をつけて、改革を起こしてやろうかしらん。
あ、でも教職取ってないや。ほらね、うくく。
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